福島ツーリング




【序章:目的と題名について】

もとを問えば「福島ツーリング」という題名は後付けでした。
復興の遅れに対する国の施策については言いたいことが一杯あるのはきっと総意だと思います。
しかしそれを今ここで論じても仕方が無いし、そもそもそんな趣旨のサイトを管理するつもりはありません。
よってここでは目的を単純・明確に絞った報告という形にしたいと思います。
・震災(津波)による被害の(2年5ヶ月後の)現状を見たままレポートする。
・マスツーリングの候補地として適切か?(道路状況や宿泊など)について見聞する。
・今回は純粋に真夏の福島県のソロツーリングを楽しむ。
そんな訳で題名も「震災復興の遅延事由と今出来る対策について語る」などと書いては消して・・・・
結局理由付けによって内容が重くなってしまうのを避ける為に単純に「ツーリング」としました。
見たままの画像から各個に何かしらを感じ取ってもらえれば嬉しく、正にそれが目的になるのではと思っています。


【計画】

先ずは立ち入り禁止区域の把握から。
福島県庁土木部道路計画課に設置された道路総室が掲示している通行規制情報は、ほぼ2日おきに更新されている。

ただこのページにもあるように基幹の国道は国土交通省東北地方整備局、高速道路は東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)と別れていてマージしないと全体像が掴めない。

そしてあたしの場合はそれを全部地図に落とさないと理解できないので、Googleマップを同縮尺にしてPhotoshopでマージするとこうなる。(→)

要は北と南が完全に分断されている事がよく判る。
下のスケールを見てもらうと判るが、たかが10kmを迂回する為に220km走る事になるのだ。

結論からいうと同土木課の作る帰還困難区域等迂回路情報の「一般道を利用する場合」で十分であり、高速道路を使う必要は全く無かったのだが、当然往路ではそれを知る余地もない。

何故ならR349とか県12とか知らないもんだから怖くて峠の酷道扱いにしてしまう。
後述する通り全く問題ないどころか並の国道より綺麗じゃん!が判るのは帰りになっての事である。

それでは順を追ってルートを作成していく。
先ず関東からは常磐道に乗る。
広野ICまでは行けるのだが、4つ手前の「いわき勿来(なこそ)IC」で降りる事にする。
目的が「2年5ヶ月後の見たままをレポート」なので出来るだけ海岸線に沿った道を進む。(@)
こうなると事前調査など要をなさず、現地でナビと勘だけのルートとなる。

福島第二原発前を通過してR6に戻ったら、JR常磐線を渡る付近で「帰宅困難区域」になり検問に引っかかる。

ここまでが南側の視察対象。
あとはUターンして広野ICから常磐自動車道に乗って(A)いわきJCTから磐越自動車道に入る。(B)
郡山JCTから東北道に入り(C)福島西ICで降りて、R115をひたすら太平洋に向かって横断する。(D)

見て判る通り非常に無駄な迂回だが仕方が無い。
逆に言えば4箇所の国道と県道を封鎖すれば町全部を占拠できる事になる!
(まぁ正確には市道も含めて数百箇所だけど・・・・)

JR相馬駅前のビジネスホテルで一泊。

翌日はまたナビと勘だけのルートをひたすら南下(E)して、浪江町あたりで検問に引っかかるまで進む。
ここまでが北側の視察対象なので、Uターンしたら南相馬市役所まで進んで、県12とR349(F)で南下する。
磐越自動車道(G)から常磐自動車道(H)で帰還!


2013年8月13日(火)

7時
長距離のツーリングは1年ぶりなのだが12年間相棒やってきた訳で、走り出してすぐに感触が戻る。
しかしここ数ヶ月長男が乗り始めてどうも他人臭がする気がしている。
あっ!ブレーキレバーの感触が馴染めない!さては立ちゴケしたな!?(後で正したらあっさり白状した)

9時半
常磐自動車道を「いわき勿来(なこそ)」で降りてR6を北上開始。
16km先の飯田交差点を右折して県26から県48へ。
意味は全くなく「あっ、ここ曲がってみよ」の勘だけで進んでいる。

県48から「塩谷岬」なる看板があったので県15から県382へ入ってみる。
県382はバイクしか通れない幅からいきなり広くなったりする海まで数メートルの海岸線である。

柵が千切れている。


ここまで内陸を走ってきた感想としては「荒れた様子はなく片付けが済んでいて、住宅の基礎が見える箇所が数箇所ある」といった感じ。

しかし海岸線に出た途端に放置の建造物が現れてくる。
塩谷岬を越えた「いわき市立豊間小学校」は校舎はもちろん体育館も全滅状態。
校庭には廃材が山になって置かれ、もう資材置き場というか廃棄場所になっていた。
墓石が散乱したままの状態だ。


そしてその横は閑静な住宅街だったのだろう。
無数の基礎が綺麗に整頓されている区画にで出くわす。
この狭い道路の曲がり方は計画的区画整理の象徴だ。


そんな中にポツンポツンと辛うじて立っている家がある。
津波によって軒並み倒壊したであろう中では堅牢だったのだろうが、逆にこうなってしまうとわざわざ取り壊す事もままならないのであろう。

おそらく目の前の小学校に通う子供向けの工事柵が辛い。


この区画で通し柱が津波に耐えた家屋はもしかして新築だったのかもしれない。

その苦悩を思うと「支援に対する税金の使い方」に反対する国民は居まいと思うのだが。


跡形も無く消え去った「鈴木邸」の家人がご存命かは知らないがこれも何かの縁。

バイクが停車できた場所で、持参した線香を焚いて鎮魂合掌。


バイクが停車できた場所?
そう、こんな住宅街(であったろう)の細い道幅一杯に定期バスが運行していたのだ!

まだ利用者は殆どいないようだが、何かその懸命さに感銘した。
小さな復興の支えかもしれないが是非頑張ってもらいたい。


県382の終点はR6に合流。
そこから3kmの地点にJR常磐線の久ノ浜駅がある。
綺麗な駅だったのでちょっと寄ってみた。

こんな掲示が普通にある光景。


久ノ浜駅からR6を10km北上。
県391の標識が見えたら急に曲がりたくなった。

昔、小学校で「見えない海中が防波」「見える地上が消波」と習った。

つまり護岸の為の堤防は全て防波堤ではなくて消波堤なんだけど、考えてみたら消波堤なんて言葉誰も使ってないよね。

何かこれ見ながらそんな事考えてた。


500m先に東京電力広野火力発電所を望む。


その手前にこんな施設が普通に存在している。


一応立ち入り禁止内に確保してんだ・・・・・ふ〜ん。


発電所沿いに県391を北上していると、いきなり道が消えた!
危ねっ!・・・・って停車して、左見たら・・・・・


さっきの「ふ〜ん」は撤回!なんじゃコレは!
道路が無いくらい危ないうちに入るかぁ!

汚染土壌がそのまま道路脇に放置されているではないか!

立ち入り禁止って・・・触れるじゃん・・・・・信じられないよ・・・・・。


もうこれくらい小さい市道になると柵とかもなくて「勝手に進んで勝手に陥没に落ちれば!」って感じ?


逆に古民家であってもこれだけ立派な梁を使用している家は土台も堅牢なのかもしれない。


それにしても壁以外はすべて剥ぎ取るといった凄まじさよ。

ある日ある瞬間、突然震度7の烈震が襲い、辛うじて梁と壁で屋根を支えている状態になる。

訳も判らずに呆然とする事1時間。
屋根より高い津波が海岸方面の空を覆ったかと思うと、次の瞬間、怒涛の海水がもの凄い速さで押し寄せて家を飲み込む。

まわり全部が海と化した居住区。
数十分後、今度は逆の流れがゆっくりと始まり、やがて猛烈なスピードで海水が引いていく。

どれだけの恐怖をどれだけの時間体験すればいいのか?

そもそもこうして想像で書いていても「じゃぁ、その想像で実況している人間は何処に居る想定なんだよ?だって屋根より高い津波だよな?」の説明すら出来ない。
まさに想像を絶している訳だ。


ここまで中に入れる箇所は無かったので、失礼だとは思いながらも一歩中へ入らせてもらった。


軒並み、正に部落丸ごとといった感じで殲滅状態。


なんだろう・・・・
もう歴史的な郷愁写真を見ているかの錯覚に陥る。


13時
県391が途中で通行止めになっていた為、県244を北上。
上郡山の交差点が福島第二原発の正面入り口になる。

この先500mの処にゲートがある。
実はすっとぼけてそこまで行ってみた。

最後の許可証ゲートまで行って「あれぇ?何か迷い込んじゃいましたぁ〜?」
って言ったら3人の警備員が走ってきて「今はいろいろ五月蝿いんですぐに戻って下さい」と言う。

Uターンして停車し「せっかくだから写真撮っていい?」って聞いたらあと3人の警備員が走ってきた。
6人に取り囲まれたら開き直るさ。
「写真を撮るくらいでなんか都合が悪い訳?」
ってバイク降りようとしたら向こうからパトカーから降りたおまわりさんが歩いてくるのが見えた。
「やべっ!」って事で瞬時に退散する。
500m走って振り返って「国家権力の使い方間違ってるぞ!」って涙目で撮った写真・・・・。


すぐ脇の常磐線。
現在、常磐線は広野駅〜原ノ町駅間が不通。
これ・・・再開の為の整備ってどれだけの費用が掛かるんだろう・・・・


上の画像を掲載した1ヶ月後に、鉄道マニアのサイトからリンクされた形で「常磐線、廃線」だかの画像検索で出る様になっていた。

まさかここで鉄ちゃんらとリンクするとは思わなかったので意外!

だったら制作当時はボツにした以下の3枚の写真も掲載しときましょか。

え?バイクは要らねぇ〜って?
いや、そんなサイトなもんで・・・・


場所はココ
1枚目と同じ北上方面。

Googleのストリートビューは残念ながら寸前で終わっていたので、撮影当時は立入禁止区域だったと思われる。


クルッと振り返った南下方面。

線路が見えない!








という事で何らかの資料にでもして貰えたら幸いです。


R6を双葉群富岡町まで進む。
こんな幹線沿いにもまだ傷跡が生々しく残っている。

両脇に並ぶお店やガソリンスタンドといった全ての施設は壊滅状態で放置され無人化している。

要するに、国道の真ん中に立って見渡しても、ひと一人、車一台見当たらないのである。
(正確に言えば緊急車両(パトカー)は5分に一台すれ違うか停車していたが)


当然公共機関も。

閉鎖された警察署って・・・・怖い。
バイオハザードでくらいしか見た事ないもの・・・・。

「ろ」はどこに消えてしまったんだろうか・・・。


さて本日最後の箇所、南側の「帰宅困難区域」の境界です。

当然のように検問で引っかかります。
許可証が無いと判るとワラワラと集まってきます。
・・・ってか「久しぶりに人に会ったんですけど!」・・・って方が強かったですわ。

国道のしかも大動脈である6号を完全にストップさせているのですから、そりゃ大規模な体制ですわ。
この反対側にもズラッと並んで追い返し作戦を決行しています。

何か次の獲物を見つけたようでサッと居なくなりました。




確実にUターンして走り出すまでガンミされています・・・・。
許可証の無い車両は異物扱いです・・・・。


判っている事とはいえ、ぞんざいな扱いに看板でも撮ってやれ!と300m戻ったところで停車すると、後ろからライトバンが走ってきて、自分の前に停車。
何をする訳でもなくこちらの行動を見ている。

ちょっと頭きて、ワザとゆっくりと写真を撮っていると、2人乗ってる2人とも振り返ってこっちを見ている。
もうあからさまに・・・・だ。

撮影後にゆっくりと走り出しながらバックミラーで追っていると、ゆっくりとUターンして帰っていった。
やっぱオレじゃん・・・・どんだけ不審者なんだよ・・・・・オレ・・・・。

まぁ何にしても、人を発見した事が喜びだなんて経験は初めてですな・・・・・。

福島第一原発から9km地点(限界区域)での一幕。


14時
Uターンしたらもう後はひたすら北上して反対側の相馬市を目指すだけ。
R6を広野ICまで走り、常磐自動車道〜磐越自動車道〜東北道で福島西ICで降りる。
およそ150km、途中で阿武隈高原SAで休憩。

15時半
R115でひたすら海を目指す。
地図では山深い峠のイメージであったが、実際には何て事ない普通の生活道路。
確かに高低はあって山も登るけど、あくまでも農村地帯を抜ける感覚。
対面2車線でよく整備されていて気持ちのよい道路だ。
信号が殆ど無いので60kmを1時間弱で走破できる。

目的を忘れない為に言っておくと、地震の影響は微塵も感じられない。
もしかして見えないところでワヤクチャになっているのかもしれないが、この2年と5ヶ月間では完全に再生を果たしているように感じる。

また海から2kmも離れると津波の影響は全くないのでこちらも何の違和感もない。

ちなみにネットでは「津波の到達距離はどのくらいだった?」という質問に対して「距離じゃありません高さです」などと小学生でも知ってるような回答が目立つが、距離を知りたがっている人に対しては「国土地理院の浸水範囲概況図を見ればおおよその距離はわかりますよ」でよいだろう。

R115の途中で見っけ!(→)
向きおかしくね?
誰に見せてんの?(ナニコレ珍百景に送ってやるかな?)


16時半
JR相馬駅前の相馬ステーションホテル到着。

相馬市中心街や相馬駅前は南相馬市に比べて被害は少なかったのか?復興が完了しているふうに見える情景ばかりだ。
もしかしたらちょっとした高低差が明暗を別けたのかもしれない?
また原発という最大の災害現場からは50km離れている事もあって(風向きも手伝って)か、放射能による不安なそぶりは見当たらない。

あれ?逆にちょっと早すぎたな。
R115の読み違い分だけ楽が出来た。

バイクの留める場所が無いので適当に。
自分の部屋の真下に見えたのでラッキー!

しかしこの後、人生初のアクシデントに見舞われる事になる。
朝夕メシ無しで6000円の宿泊プランなので少しでも浮かせようと駅前のコンビニへ。
ちょっと寝て疲れを取った後だったのであたりはすっかり暗くなっている。

買い込んだ袋を持ち替えながら右足を一歩前へ出した時、そのまま身体の右側が地面に向かって傾くのが判った・・・・・えっ?

気がつくと地面に寝ている。
はぁ?って足元を見てみると、ナント!右足を下ろした所にデッカイ穴があいていたのだった。

暗がりで荷物に気を取られ、まさか舗装路に穴があるとは思わなかったもんで全く油断していた。

ホテルに帰って夕食をしていると右ひざと右額と右の肋骨が痛い事に気づく。
右ひざと右額は打ち身の外傷だと判るので放っておくのだが、肋骨がひどく痛い。
押さえると飛び上がるくらいに痛い・・・・やべっ・・・ヒビ入ったかな・・・・?

その夜は寝返りも出来ず、ううぅ〜・・・ってな痛みで全く寝る事ができなかった。
息をすると痛く、胸を張ると痛く、咳きなんぞ・・・!!
やばいな・・・本当にヒビが入った時の症状っぽいな・・・・・。

8月14日(水)

5時
痛くて寝られない。
まんじりともせず夜が明ける。
・やめて帰る
・気にせず続行
の2択の結果、5時半に出発して全メニューを消化する事に決定。

5時半
出発。
かがむと息ができないので身支度が辛すぎる。
すでに汗だくの状態。

R115に戻って、そのまま県74に入る。


全く車の通らない2車線の綺麗な道を走っていると周りの景色も美しく思えてくる。

しかしここはかつて住宅が立ち並んでいたのだと気がつくと自分がその光景を知らないだけに複雑な思いである。


一方、海岸側は堤防が総崩れになっていて立ち入り禁止になっている。


鹿島区南海老付近の「磯ノ上」という場所で県74から登りの細い市道の分岐があったので何気に入ってみた。

一気に登ったすぐ右側にこんな慰霊碑が立っていた。
読んでみると「八沢地区慰霊碑」とあって約70名の記載があった。

用意したお線香の一束に火を灯して合掌。


県74が内陸に向かうので分岐している県260に入る。


途中・途中では廃材や流木の処理が継続されていてまだ終わりには程遠いと感じる。

しかしここへきて気がついたのだが、福島県では菜の花が最盛期だ。

え?うちの庭の菜の花は4月には種の収穫を終えたが?
気候差が3ヶ月以上あるって事?


原町区に入るとついに県260も行き止まり警告。
しかも「福島第一原発事故」と明記してある。
放射能危険区域への入り口という事だ。


そしてそこから1km程で終了。
Uターン。


良く整備されている道なのに勿体無い。

原発の町で原発ゼロを叫ぶ立看が空しい。


7時半
R6に戻ってさらに南下。

JR常磐線小高駅近くで再び県260が現れたので海岸に向かって左折してみたのだが、その途端、2年5ヶ月経っても手が付けられない現実がまたも現れた。

遠くから見ると「何故くるまが土手の下に駐車しているのか?」と不思議な光景。

でも一応全て管理しているんだと安心した。


どうせこの先も通行止めだろうし、もとから車1台どころか、ひと一人居ない訳で、動いているものといったら自分と飛んでる鳥だけ。

だから道路の真ん中に止めても誰も怒らない。

R6からわずか1.6km海よりの地点である。


逆にどこでもそうだったが、何で道路だけはこんなに綺麗なんだろう?

整備とかとは別に、ゴミ一つ、廃材一つ落ちていない・・・・それが違和感の原因だったんだ。

誰も居ない無人の町を時速5kmほどで動いているのは自分だけであって、特に後片付けをする必要もない箇所ばかりなハズだ。

不思議である。


あ〜なるほど、放射線の空間線量は毎日計測しているんだ。
でもここに表示している意味はなんだろう?
誰が見るの?



その横には測定器が。
昨日より増えてるじゃん!!

ここでちょっとお勉強しておこう。

文部科学省が設定している「人体が浴びてもよい放射線量」の暫定基準値は年間1〜20ミリシーベルト(mSv。そういう単位があるというだけでよい)。

ご覧のように今日の線量は0.179マイクロシーベルト。(uSv。ミリシーベルトの1/1000の量)
つまり1時間あたり0.179という値の放射線が降ってるぞ!と言っているので、もっと判りやすく、1時間当たり0.2uSvの放射線を浴びる場所(つまりここ)に住んでいるとしよう。

年間1mSvを基準値の最低値とするなら、1000/0.2/24=208で、1日24時間、外に居ても208日目までは問題なしと言っている。
(上限値の20mSvで考えるとその20倍だから4160日=11年=全く問題なし)
これが1日8時間、外に居るとするなら618日居ても大丈夫(判りやすく室内はゼロとする)なのでこれも年間を越える=全く問題なし!となる。

次にこれをレントゲンで比較してみよう。
例えばバリウムを飲む胃のレントゲン検査は1回約3mSv程度。(すでにこの値が年間最低基準値の3倍である)
だから年間で胃のレントゲン検査を7回行うと20mSv/年を越えてしまい「ちょっとなぁ〜」になる計算。
その胃のレントゲンに相当する屋外活動は、3000/0.2/24=625日分になる。

つまり、ここに1年間住み続けた場合の被爆量は、胃のレントゲン1回分の6割にも満たないのである。
逆に言うと、胃のレントゲン1回分の被爆量は、現在の福島第一原発構内で最も空間線量が多い地点(1号炉から北西約1km近辺)に20日間寝泊りした場合の被爆量に相当する。(3000/6/24=20.8)

例えば本日の都内の放射線量は多くて0.09uGy/h(マイクログレイ)=0.12uSv/h。
これも逆に言うと、福島第一原発から17kmのこの場所で浴びる放射線の7割は常に都内でも自然に浴びているという事だ。

余談だが、これを被爆致死量と比較すると0.12/4000000=0.00000003%の量となる。
(ここでは一度に浴びる放射能の影響による白血病誘発を致死量と仮定してその値を4Sv/hとしている)
(ちなみに広島原爆は爆心地で123Sv/hなので致死量の30倍)

話を元に戻すと、今回自分が福島県に居た2日間の全ての時間で0.2uSv/h被爆していたとしよう。
合計で9.6uSvで年間最低基準値の1/100でしかない。

要はこうした知識を持って接すれば、放射能被災地だからといって、むやみに怖がる必要はないという事なのである。

ただ自分の場合、例のアクシデントで後述する腹部CT検査を行った。
腹部のCTは10mSv前後であり、これだけですでに文部科学省が定める年間最低基準値の10倍の線量を一度に浴びた事になる。
ここに5年以上住み続けた場合と同じ線量である。
一度の被爆量としては結構大きい値だ。
できれば来年一杯まではもうCTスキャンはしたくないところだ・・・・。


R6に戻ってさらに南下する。

R6もけっこう高低差があり、低いところではやはり津波の影響は免れなかったようだ。


国道沿いに店舗を出す喜びは相当なものに違いない。
それだけに天災にて終了、最初から!どころか負債を抱えて再出発しなさい・・・・は余りにも酷すぎるといものだ。

もう一度繰り返すが、こうした不幸に見舞われた人々の為にこそ税金を惜しみなく投与しても、誰も否定する人は居ないであろう。
もちろん物理的財政として「税金を!」と叫んでいるのではない。
そうした指向が大意であり総意ではないのか?と言っている。


そうした個別対応は必要だと思う一方で、いつまでもこんな光景を放置しておく事が復興過程で不安を抱かせる要因にならなければよいが。

だって2年5ヶ月経ってるんだよ!
国道から見えるんだよ!(観光客も居ないし、誰も通行してないけど)

もう県の土木課だけでどうにかなるものではないレベルであり、早急な国の直接的支援が必要だろうと感じる。


R6沿いに8km進むとR114と交差し、その次の交差点が表題の写真、浪江町への入り口である。

そこからさらに8km先が最後の目的地、浪江町側の「帰宅困難地区」検問前である。
福島第一原発から7kmの地点(限界区域)だ。

もうマスクした人達に囲まれるは面倒なので手前で停車して撮影だけして逃げるようにUターンしてやった。

8時半
端折ったつもりは無いが9時前には本日の課題は全部終わってしまった。
出発を2時間前倒ししたのだから当たり前かも?

尤も、ここから三春町を経由した迂回と高速の南下で5時間弱は見ているのでさっさと行動!
ここまで心配していた肋骨は痛みは激しいが、時々忘れることができてたので有り難かった。
また気候もカラッとした暑さなので「33℃」の掲示板があっても全く負担にならない。 さっそく南下の為の北上を始める(!)

R6を「道の駅 南相馬」まで約20km北上。
寄って見るもお土産コーナーが開いてなかったのですぐに出発。

すぐにR6を左折して県12へ。
恐れていた県12だったが、何のことはない、やっぱり対向2車線の綺麗な道路で信号も少なく、まったく苦痛を感じない。
途中、八木沢峠を越えるが大した峠ではなく生活道路だ。

県12を43km西に横断するとR349にぶつかるので左折して南下を始める。
T字なのに信号が無くて怖いよ。

R349も立派な生活道路。なんの不満もない。
25km南下すると県50との分岐。
「船引三春IC」へはこちらが近いので右折。
約7kmでIC到着。
信号が無いので平均70km/hで走行可。
合計で約100km、1時間半の行程だ。

10時
磐越自動車道から常磐自動車道へひたすら南下。
お盆だというのに全く混んでいない。
平均120km/hで走行可。
しかし茨城にはいる直前からもう蒸してきた。
ベタベタする暑さが気持ち悪い。
恐らく同じ33℃でも全く質が違うのであろう。

14時
無事に帰宅。




総走行距離:814.4km
燃料消費量:49.8L
燃料消費率:16.35km/L


宿泊6,000円
飲食4,500円
ガソリン代7,916円
高速代7,700円
合計26,116円

最後に今回の目的であった、
・震災(津波)による被害の(2年5ヶ月後の)現状を見たままレポートする。
・マスツーリングの候補地として適切か?(道路状況や宿泊など)について見聞する。
・今回は純粋に真夏の福島県のソロツーリングを楽しむ。
について。

「震災(津波)による被害の(2年5ヶ月後の)現状を見たままレポートする」
これは今回、画像に残すという形をとったので49/123枚の写真を採用して紹介してみました。
完成後に改めてチェックしていて気がついたのですが、49枚の写真のうちで、
・走っている自動車が写っている写真:2枚
・人が写っている写真:2枚
の計4枚だけ。残りの45枚は廃墟と化した無人施設や情景だけでした。
何かしら伝われば幸いです。

「マスツーリングの候補地として適切か?(道路状況や宿泊など)について見聞する」
全然OKです。
それどころか、福島県の道路に関する整備意欲はスゴイと思ってます。
たまたま震災が起きてしまったけど、それ以前にメンテナンスに対する意識が伝わって好感が持てました。
たかが道路でこんな事思った事がなかったものだからよほど意識が高いのでしょう。
今後もこの精神、伝わりにくいかもしれませんが重要な事です。皆感じますよ。頑張って!
また宿も避難区域以外で営業している処を多く発見しました。
内陸部以外は絶対数的に供給が少なくてまだ寂しいけど、もうこれからは何の問題もなく宿泊が可能でしょう。

「今回は純粋に真夏の福島県のソロツーリングを楽しむ」
とにかく気候がすばらしい!
夏のカラッと暑っ!っ感覚が良いです!
もしかして避暑にもいいのかもね。
復興支援なんて気にしなくても普通に行けて普通に走れますので気が楽ですよ!

以上、ツーレポでした。




帰宅後の話(↓)
奥さんに肋骨の話しをすると「それは完全にヒビが入ってるね。今日は午後診があるから行っといで」と言う。
早速汗が引いたところで総合病院へ。

何故かCTを撮られる。
長い待ち時間の結果、
Dr「骨に異常はありません。ちょうど軟骨の部分を強打しているようなので強烈な痛みは3週間ほど続くでしょうね」
がめ「それじゃ、痛いのをガマンしてもいいんですね?(ムリすると粉砕骨折とかならないんですね?)」
がめ「よっしゃぁ〜!」
Dr「ただそれとは別に右肺に陰があります。一度専門科に掛かった方がいいでしょう」
がめ「え〜・・・・・っ」(次の瞬間もう忘れている)

ってな訳で、画像診断1700点入りま〜す!って何でやっ!?
確かにロキソニン山ほどくれって言ったけど、誰が何とかバンドくれって言ったよ?(装着すると超楽だけど!)
結局1万円の出費でしたが、肋骨のヒビ疑惑が陽性だったので超うれしいっ!!
これで、やっと旅が終わりました!


おしまい!