いちさんとのお別れ

お別れの日「さようなら〜!!」




【2020年7月】

2013年に開催された「第13回いちさん倶楽部全国ミーティング」にて先代の二代目会長より三代目を拝命承り、その後6年間務めた会長職を一昨年の全国ミーティングにて四代目に引き継いだ事で何だかちょっと肩の荷が降りた気がした。

2001年4月に新車購入した2000年モデルのCB1300SF SC40。
通称「いちさん」。
この時すでにマイナージェンジ版の2001年モデルが販売開始していたのだが金銭的な面もあって価格落ちの2000年モデルを相棒に選んだのだった。

あれから19年。
走行距離は約3万kmと19年間付き合った割には走っていない。

鉄道マニアには「乗り鉄」「撮り鉄」「音鉄」など同じ電車でも様々な愛し方があるように、自分のいちさんの愛し方は「眺める」だった。
自宅のガレージの玄関脇に大きな身体をピタリと寄せてジッと待っていてくれる喜び。
いつでも・・・嬉しいときでも悲しいときでも、いつもそこに居てくれる喜び。
そこに居てくれていると思うだけで嬉しくて嬉しくて幸せだった。

リターンライダーという言葉が流行った時期があったがまさに自分がそれだ。
16歳の時に友達の父親のRD90を皆で勝手に(無免許で!)乗り回していた時の高揚感は息を呑むものだった。(43年前の事だから許して!)

すぐに原付免許を取得して仲間からCB50JX-1を5千円で買った。
メインキーが壊れていたので今考えれば怪しげな出処だったのかもしれないが当時はそんな事お構いなしに興奮した。
それからは熱にうなされたようにバイクの事ばかり考える日々。
当時はまだ原付きのヘルメット着用義務が無かった時代だったが、ノーヘル二人乗りで崖から落ちて気絶するという、法律も交通安全もあったものではないデタラメをやっていた。

1975年の法改正で中型免許制度が出来て惜しくも大型バイクに乗れる機会を失ったため中型免許を取得。
すぐにCB250T HAWKを購入。
当時は全盛だった上野のバイク街で悪い大人に騙されて半分焼付いた欠陥中古バイクを17万円で買ってしまう。
今から思えば腹立たしい詐欺ではあるのだが、当時は嬉しくて嬉しくてすぐにオーバーヒートしてエンジンが掛からなくなってしまうCBに惚れ惚れしていた。

18歳でクルマの免許を取得すると一気にヨツワに傾倒し、ジムカーナを経て筑波サーキット通いの20代
並行してRS125/RS250のレーシングチームのメカニックも担当したが自分で駆るバイクは遠のいていった。

それから結婚・住宅購入・独立自営と慌ただしい時が流れ、気がつけば39歳でやっと息が抜ける感じがした。
まだ子供達は小学生だったが、それでもこの時期が一段落というやつだったのかもしれない。

さて、(相変わらずお小遣いは少ないが)好きな事をしてみたい!・・・と思った。
Q:何がしたい?>自分
A:バイクに乗りたい!!

家庭を維持するためのクルマは荷物が積めるワゴンという名のバン
走る喜びなどとうの昔に忘れていた。

バイクって何て身勝手なオモチャなんだろう。
家族にとっては何のメリットもない高価で邪魔な鉄の塊。
しかも住宅ローンに加えてお父さんだけのオモチャのローン。
そんなお金があったら・・・・いや、それを考えたら何も始まらない。
奥さんに頼み込んでやっと許しを得てからがキラキラの日々。

まずは運転免許の取得から。
10代で中排からクルマに傾倒してしまったために大排を取得せずに過ごしてしまったからだ。
そんな楽しい日々がこちら。(当時のホームページの作り方も時代だなぁ)

「乗れるものなら乗ってみろ!」のコンセプトに憧れたBIG-1 CB1000SF、フラットな特性にグラついたXJR1200、マッチョな図体のV-MAX。
いろんなバイクに乗ってみて感じたのは「CB1300SFだけは恐怖を拭えない」って事。
圧倒的なパワーで下手な操作をすると悲しい結果がすぐそこに見えるような緊張感。

そして何よりネットで見つけた「いちさん倶楽部」という全国クラブの存在。
当時すでに全国で200名を超えるメンバーを有していた倶楽部だが、自宅からそう遠くない場所で「くるくるの会」というイベントが頻繁に開催されていた事。
ひと気のない海岸に集合してはパイロンを立ててスラロームやセルフステアといったジムカーナ系の練習をする集まりだった。
CBに感じた恐怖を拭えるのは運転技術の向上のみだ!と感じていた自分は完全にその志に共感してしまい、迷わずCB1300SFに決めたのだった

もちろん眺めているだけではなく、相棒にしてからはこいつと一緒にいろんなところに出掛けた。

くるくるの会」で操舵技術の向上に夢中になってからは警察主催の講習会であるGRM(グッドライダーズミーティング)ライディングスクールにも参加。
朝練と称して、早朝の箱根の椿ラインやイニDの聖地である榛名山正丸峠
そして倶楽部のメインイベントである毎年恒例の全国ミーティング
四国京都にも一人旅で共に疾走したっけ。

そして気がつけば59歳。
40歳からの相棒もそれなりに歳を取ったものだが、それ以上に自分も歳を取ってしまった事に今更ながら驚いている。
キャブ仕様のいちさんはそれでも吹かせば「まだまだ行けるぜぃ!」って瞬時に吠えてくれるのだが、この260kgのクソ重たい相棒を振り回す体力と気力が徐々に薄れていっている事に気づいている。

そしていちさんを降りる事に抗っていた気持ちにトドメを指したのが今年2月に起きた歩行中の事故で片目の視力を失った事だった。
現在ヨツワの相棒であるBMちゃんの話はまた別の処で展開しているが、四輪の運転がようやく人並みに熟せるまでに技術的・精神的な回復を得たものの、110ccのスクーターを運転してみてようやくバイクを操作する特殊性が理解できた。

クルマは常に二次元で視野を捉えているため左右の車窓に神経を向けてさえいれば高速道路でも問題なく走行できる。
ただし追い越し等でレーンチェンジを多用するとたちまち眼精疲労が襲ってきて疲れはするのだが。

ところがバイクは「セルフステア=傾斜角」をコントロールしなければならない。
コーナリング中に現在の舵角と前輪の方向を見極めた上で慣性モーメントに従って荷重移動しなければならない。
この一連の動作を脳が正確に判断するためには両目の遠近感が必要な事に気付いたのだった。
当然のことながら健常者であればそれが普通の感覚なのでわざわざ気付くこともない。
もちろんセンスの問題もあるだろうから苦手な人はそれに気付いて最初からバイクには近づかないのだろうけど。

スクーターレベルの絶対速度でさえも片目でバンクした時の恐怖はもう二度としたくないと思う感覚なのだ。
そうなると大型バイクの真骨頂である高速バンクなど恐ろしくて出来ない。
かと言ってジムカーナ系の超低速急激バンクなど考えただけで気絶しそうだ。
さらに冗談っぽく聞こえるかも知れないが、停車時に足を降ろす地面の高低差が掴みにくいため、傾斜面で停車すると足の位置を見誤ってそのまま転倒するリスクが超絶増えるのだ。

こうした事からいちさんを降りる決心をした訳だが、今度は別れが辛すぎてどうにも手放す決心がつかない。
「いや、一生そばに置いておけばいいじゃん」とも思った。
20年前の旧車だもの、売却してもお小遣い程度である。
それならそこにずっと居てくれればいいじゃん。置く場所だってあるんだし。

いや・・・まだまだ元気に疾走ってくれるいちさんをこのままここで朽ちらせていいのか?
それが自分の望みなのか?
悩んだ・・・昨年の7月で車検が切れから半年近く悩んだ。
その結果、お金に換えてお終いにするよりも大切に乗ってくれる人が現れたら無償で譲ろう・・・そう決めた。
しかし身近の知人・友人に声を掛けてみるもこんな巨体を嫁に貰ってくれる人は現れなかった。

そんな時に浮上したのが今回貰い受けてくれたDaniel Kitty 爺さん。
青森県でカフェバーを営む傍らでYouTuberとして活躍してる御仁だ。
多くの四輪・二輪をコレクションしながら自由闊達に解説している動画を拝見してすぐにFaceBook友達になったのが2年前の夏。

「マスター(Daniel Kitty 爺さん)の動画から家の所在地バレバレだよ?いいの?」
「お店の宣伝に始めたYouTubeだから気にしな〜い!」
といった他愛もない会話を続けていた間柄だった。
そして昨年の暮れにこちらからいちさんの譲渡を打診すると二つ返事で快諾してくれたのである。

嫁ぎ先が決まって安堵すると、お別れするまでの手入れが余計に愛おしい。
もうタイヤは使い切ってアウトだし、フロントフォークのシムも限界だ。
そういった大掛かりなメンテナンスは嫁ぎ先に委ねるとして(!)それでも全状態と全性能を熟知してるからこその細かいメンテナンスが楽しい。

ETC装置にもお世話になったなぁ〜。
タンク左の凹みはおバカな大クラッシュの自分への戒めとして敢えて修理しないままにしてあったんだよなぁ〜。
ジムカーナで下手くそだった頃によく擦っていたステップのバンクセンサーも削れたままだなぁ〜。
深夜の高速道路でヘッドライトのH4バルブが切れた時は焦ったなぁ〜・・・・以来予備バルブをテールボックスに仕舞ったままにしてるな〜。

そうこうしているうちに晩秋。
冬の青森は雪に閉ざされバイクどころではないため、話し合って「来春に会いましょう!」と決めていた。

ところが・・・・2020年2月に入って例のコロナ禍である。
今年1月から東京を中心に猛威を奮いはじめた伝染病は6月には収束したかに見えたが、7月に入ってまた活発になってきた。
7月半ばの日曜日に引渡し日を設定してお互いに待機していたのだが、このコロナの影響で「会って直接引き渡し」は不可能だと判断。

マスターによれば「こんな時期に関東に行ったと知れたらお店にお客が来なくなるよ!」と常連客に真面目に留められたそうな。
しかもそれをYouTubeにアップなんかしようもんなら青森県中が大騒ぎになるよ!とも。
確かに言われてみれば東京の感染再発具合は尋常ではない。
おバカな一部の低年齢層が夜の繁華街で謳歌したばかりに急激な感染が再発したためだ。

9月に入って更に話し合いの結果、トラック配送という手段で引き渡しを決行する事となった。
ナンバーが付いたままだがそこは先方が手慣れているため地元で廃車&登録手続きをして頂けるとの事でとても助かる思いだ。

そして10月。
搬送業者からの連絡で8日に引取日が決まった。
連絡を受けてからの数日、申し訳程度ではあるが掃除してエンジン掛けて跨って。
これまでの19年間を思い起こしていた。

【2020年10月08日】

台風の影響による秋雨前線で朝から雨。
10時過ぎに搬送用のトラックが到着。

いよいよお別れの時がきた。

車庫から最後の出庫。
「出しますよ」の声がけに「いえ、自分で出しますので」
玄関にギリギリ寄せる手法を19年前に研究してからずっと同じ止め方。
こればかりは人にさせる訳にはいかない。

積み込む前に傷や凹み等の点検。
レンタカーと同じでクレームが多いそうな。

これらの写真はウェアラブルカメラの動画から切り出して写真にしている。
搬送の一部始終を撮影した動画を先方に送って納車までの動画に連動するためだ。

点検している最中にぐるっと一周して全体像を撮影。

メインキーは差した状態で搬送するのだが、旧車等では鍵が痩せて抜けてしまう事があるそうな。
だから紐で縛って落下防止に備えるのだとか。

点検の書類を確認・共有したらいよいよ積載。
リフト付きの専用トラックだから一瞬で荷台へ。

あっ、これすげ〜!・・・って思ったのがこのスライダー。(→)

タイヤの下に差し込んで踏みながら押すとスルスルと方向が変わる。
便利〜!!・・・だけど普通の人は使わないわな・・・・。

あっという間にラッシング終了。
見ていて惚れ惚れする手際の良さだ。

あぁ〜見えなくなる・・・・思わず「さよなら!!」

脇からしつこく「さよなら!!」

到着から出発まで10分ちょっとであっという間の出来事だった。
もううちに居ないんだ・・・・ずっと居たのに・・・・。
そんな感情が巡りずっと手を振っていた。

元気で!さようなら!
旧知の仲間いちさん!!
これまでの19年間ずっと付き合ってくれて本当に本当にありがとう!!

ここまでが自分がしてあげられる最後の有終。
このあとの余生はDaniel Kitty 爺さんに託したからうんと可愛がってもらってね!
そして時々動画でお前の元気な姿を見せておくれ!!

【2020年10月10日】

マスターからメッセージが。
「素敵なバイクが届きましたよ。これからさび取りしたりして磨き上げます。早く乗ってみたいので10月中に車検取って名義変更する予定です」
そこにはマスターの家に到着したいちさんが写っていた。

こちらも嬉しくなる!
青森ナンバーのバイク達に囲まれた習志野ナンバーが新鮮に映る!!
そっちでも仲良くやるんだぞ〜!
20歳とはいえ一番の新参者なのだからね!
今後のマスターの動画が楽しみだ!

【2020年11月19日】

あれから一ヶ月。
やっと忙しくなってきた矢先にコロナ禍の第三波襲来。
東京は今日、初の感染者500人台/日突破でもう手のつけられない感じがしている。
青森も大変なことになっているようで、経営するカフェバーはここ一週間全く来客が無い状態だとの事。

そんな中、何とか引き渡し動画の配信をしてくれたのだが、ナンバーから所在地からバレバレの動画になっていた。(汗!)
まぁ・・・すでに廃車済みで青森ナンバーの車検を通している最中のようなので・・・・ま、いっか・・・。
さすが5万人の登録者を持つYouTuberだけあって、アップ後数時間で凄い数のコメントが。
「CB1300SFめっちゃいい音ですやん!」
「マスター良いバイク頂きましたね!凄くイイ音してますよ!」
「マスターまた凄いいいバイクもらいましたね」
なんてコメントが付くとこっちまで嬉しくなる。

「スペンサーカラー超カッコいじゃー!」
なんてコメントを頂くと今すぐ側まで飛んで行っていちさんに「褒められたよ!よかったね〜」って言ってやりたくなる。

マスターも動画の中で「大型に乗れるうちは、あと10年は乗りますので」と言ってくれているので嬉しい限りだ。
また「売れば良いお金になるのに譲ってくれて感謝」とも言ってくれているが、冒頭でも書いたように「これまでの19年間という時間を共にした相棒をお金に換算したくなかった」というのが一番の理由だ。
我が相棒はまだ体力も気力も十分に残っている。
19年という年月は乗り手の方を老いさせ、元気なままの相棒を置き去りにしてしまった。
その償いとして、もしこれからも大切に乗ってくれる人が居るならば対価など無用、喜んでさよならするさ!が本音だ。

いちさんのお陰でそれまで出会えなかった多くの友と巡り会う事が出来た。
いちさんのお陰で体験した事のないような感動を焼き付ける事が出来た。
いちさんのお陰で感じたことのないような至福の時間を過ごす事が出来た。

元気で第二の人生を送っておくれ!我がいちさん!!
いつも見てるからね!我がいちさん!!

それじゃ、元気で!!